教員の道が決まっていたが、「人に最高のサービスができる仕事」と気づき、バレーボールの世界へ。コーチはサービス業だと語り、選手にはまずスポーツマンシップを説く。指導歴37年、今も言葉ひとつに時間をかける。
Q&A インタビュー
現在のお仕事について教えてください
はい、職業となると、バレーボールコーチが仕事になります。その関係で、5年前に今勤めている国際武道大学というところに誘われて、今は女子バレーボールチームの監督をやっています。
日々どんな業務をされているのですか
例えば大学だと、春リーグと秋リーグっていうのがあるんですよ。なので、リーグ戦に入ると、次回の対戦相手のデータ分析をしたり、映像編集をしたりっていうのが主になりますね。リーグ戦以外の期間だと、大体、高校生の大会をあちこち見に行って、いい選手がいないかスカウトをしたり、あと、やっぱり自分のスキルとか知識も磨かなきゃいけないので、文献を読み漁ったりとか。今、国際大会なんかも結構テレビとかネットで見れるんで、それを見たりとか、いうことが主な作業内容ですね。そうですね、割とデスクワークも多いですね。
大学ではどんな授業を担当していますか
コーチング英語、スポーツ英語みたいな感じで、うちの学生が海外に行ったときにきちんと指導できるようにということで、スポーツの現場で使う英会話の授業を担当してます。
この道に進んだきっかけを教えてください
大学を出るときに、本当は教員採用が決まってたんですけども、大学4年生のときに千葉県内の強豪校のコーチをやってたんですよ。で、そこのチームの合宿で実業団に行ったときに、そこの実業団チームの部長さんにスカウトされて、うちでやってみないかって言われて。それがこの世界に入ったきっかけですね。で、長くやるつもりはなかったんですけども、いくつか理由があって、だいたい30歳くらいのときに、この仕事が一番自分が人に最高のサービスをできる職業だなって思い始めて、それから本格的にこの仕事に取り組んでます。先生を目指してたんですよ。うち、親戚一同全員先生なんですよ。教員に向かないなってちょっと思ってましたね。あんまり面倒見いい方じゃないんで。あとは、やっぱり24時間バレーボールのこととかコーチングのことを考えていたかったんで、こっちの方がしっくり来るなと思いました。
監督を始めたのはいつ頃ですか
でも、いつくらいだろう。私が60歳で、ヘッドコーチ、いわゆる日本では監督っていうことになるんですけど、初めて監督やったのがインドネシアだったんですよ。それが33歳くらいの時ですね。だから、37年前ですか。
これまでどんな苦労がありましたか
契約取れなかった時期もやっぱりあるんですよ。金銭的な苦労は常につきまとってましたね。僕くらいのレベルだと、そんな高い契約金もらえるわけじゃないし、あとは、契約が切れる時もあったんで、その時には日本に帰ってきて派遣で働くしかないぐらいの感じで、ちょっと家族には大変な思いさせたなって思ってますね。あと、若い頃は喧嘩っ早かったんで、特に海外に行くとよくぶつかるんですよ。そこがダメだったですね。
海外代表の監督にはどう就任したのですか
インドネシアのバレーボール協会から日本バレーボール協会に、女子のナショナルチームの監督を派遣してくれという依頼があって。で、私はその、前年かな、2年前か、あ、前年だ、アメリカに留学してたんですよ。その時に、とりあえずこいつなら英語話せるだろうってことで、たぶん僕が選ばれたと思うんですけども、嬉しいのもありましたね。あとは、やっぱり挑戦したいなとか、世界的に有名な監督たちに肩を並べたいという思いもありましたし。代表の監督は、インドネシアと、あとは南アフリカのアンダー18の監督をやりましたね。
日本の指導者は海外に挑んでいますか
チャレンジする人が今、あんまりいないかなっていう感じですね。選手は結構海外に出るようになったんですよ。でも、指導者、日本の指導者はなかなか出てかないですね。なので、指導者講習会では、もう選手が今いっぱい海外に行くようになったんで、次は皆さんの番ですと、けしかけてはいるところです。
海外暮らしで辛いことはありますか
辛さはあんまり感じないですね。まあ、最初は楽しいんですよ、どこ行っても。だいたい3か月ぐらいたったら、食べ物がダメなんですよ。インドネシアなんかは、最初は大喜びでいろんなものを食べていたんですけど、3か月経ってから、ココナッツオイルって言うんですか、あれが鼻につくようになって、おかゆみたいなのばっかり食べていました。おかげで体重10kg痩せました。その後、エジプトに行ったら、直後に食べ物がドンピシャはまって、10kg太って、結局行ってこいで。
忘れられない出来事を聞かせてください
自分にとってはネガティブな出来事だったんですけど、デンマークに赴任してあったことがあって、その時はクラブチームだったんですよ。デンマーク選手権みたいなのがなんかあったんですけど、僕が初めて行ったときは、3年後に優勝してくれればいいということを、契約ではないですけど、クラブのGMから言われてて。なのに、その年、たまたま自分たちの街で、オーデンセっていうデンマークでは3番目に大きい都市だったんですけど、そこで選手権が行われるっていうことが急遽決まって、で、優勝してくれって言われ始めて。トーナメント、国内リーグっていうのがだいたい10月ぐらいから始まってるんですけど、国内リーグと並行して、その選手権のトーナメントが同時進行で進んでいくんですよ。私が赴任していく前の年に、そこのクラブが優勝してて、優勝したメンバーが全員スイスのクラブに買われて、誰も残ってない状態で。でしょうがないから、僕は、だいたい同じクラブのアンダーカテゴリーの方から何人か引き上げて、あとエージェントを通してアメリカ人とカナダ人をとってもらって、あとは、昔日本代表に入っていた選手も一人、私が手伝いますって言ってくれて、一緒にやってチームを作っていったんですけど、ちょっとずつ勝てるようになってって、最後、優勝しろと言われて。でどうしても一人、エースのポジションがちょっと弱いってことになって、クラブの方から、こいつ使ってくれって、どっかからいい選手を連れてきたんですよ。でも僕はその時に、15歳のアンダーカテゴリーから引き上げてきた15歳の、こいつ将来すごくなるなっていうやつを使ってたんで、断ったんですよ。それは決勝のファイナルの前の週ですね。1週間後にファイナルだっていう時に、2、3日、使え使わないのすったもんだが続いたんですけど、どうしても勝ちたいんだと、この15歳でも勝てるよって言ったんですけど、クラブがその彼女のことを信用してなくて、ベテランの、突然連れてきた選手をどうしても使ってくれって言うんで、あ、じゃあ分かったと、使うよと。ただこれはもう俺のチームじゃないから、俺はベンチに入らないっていうことになって。で、結局、試合自体はフルセットで優勝したんですよね。でそこに家内と娘が試合会場に見に行ってて、最後、スパイクが決まってゲームセットの瞬間、選手を写して、その後客席にカメラが移ったんですけど、その時に、うちの家内が大泣きしてる。いろんな複雑な思いだったと思うんですけど、あのシーンは忘れられないなっていう感じだったですね。家で見てました。もう当日朝からもう家にいて、家でウイスキー飲みながら見てました。ウイスキー一本飲んじゃいましたね。
仕事と生活のバランスは取れていますか
めちゃくちゃバランス悪いですね。ほとんど仕事ですね。寝てる時以外、仕事してますね。
これからの役割をどう描いていますか
ずっと自分が現場でやってきたんですけど、もうそろそろ、この後も今後もずっと携わりはしたいんですけども、ちょっと役回りを変えなきゃいけないなって今考えてて。もっと指導者の育成だとか、アスリートの育成だとか、合宿だとか、トレーニングの環境整備だとか、あとはアスリートとかコーチに対して、今海外で何が起きてるのか、どういうことが研究されて突き止められてるのかっていうのを伝えるとか、そんなような役割をしなきゃいかんねってつくづく思ってて。なぜなら、それをやってる人が今、本当の意味でいないんで。なので、それをやるための起業を考えてまして。だから今、バレーボール以外でしいて言えば、その起業のための準備だとか勉強だとか、ずっとそこに時間を使ってますね。
もう一度海外で指導したいですか
それもちらっと考えてますね。海外、デンマークが最後の赴任地だったんですけど、帰ってきたときに、もう疲れたって正直思ってたんですけど、何かふと気づくと今また元気になってて、もう1回ぐらい行きたいなっていう思いもありますね。
待遇についてはどう考えていますか
報酬、安いと思いますね。ただ、お金のためにやってるんじゃないっていうのはありますけども。まあ、大体大学だけじゃなくて高校とか中学校を見てると、非正規採用っていうんですか、非正規雇用が多くなったりしてるんで、卒業生の動向とか見てると、だからこういう教育業界の人たちって、安い給料でずっとこき使われてるなっていう印象はありますね。そうですよね、いろんな、やっぱり同じ仕事をしてる人間と時々話したりしますけど、安く上げられてるなっていう印象がありますね。
指導のやりがいはどこにありますか
やはり、しっかり指導する人たちって、本当にどういう言葉をかけてあげようかって、言葉を発するまでに長い時間かけて考えると思うんですけど、それによってちょっとでも進歩すると、もうすごい嬉しいんですよね。バレーボールでも、こいつ下手くそだけど、どうやって教えたらいいんだろうと思って、3日くらい考えて、それでやってみて、それがハマった時のエキサイトな感じというか、やっぱりそういうものかなと思いますね。特にスポーツはそうなんだろうなって思いますね。
コーチという仕事の本質とは何ですか
コーチの語源って、座席とか馬車なんですよ。アメリカなんかは、長距離移動が鉄道よりもバスなんですよ。アメリカのグレーハウンドっていう有名な会社があるんですけど、長距離移動のバスなんかにもコーチって書いてあるんですよ。だからそもそもコーチって、お客さんを目的地までお連れするっていうのが仕事で、それがコーチの語源でって考えると、そもそもコーチ業ってサービス業なんですよね。っていうのを指導者講習会で自分よく言うんですけど、だから完璧なサービス業だと思います。
選手に必ず伝えていることはありますか
スポーツマンシップの話は絶対しますね。スポーツマンシップって選手宣誓で言いますけど、スポーツマンシップって何って聞かれて答えられる選手とか指導者って、ほとんどいないと思うんですよ。だから僕が海外に行ってる時に、特にイギリスがスポーツの発祥の地なんですけど、初めて体系化されたところなんですけど、ああいうところの人間とか、ヨーロッパの人間とよくそういう話をしてて。ほとんど受け売りなんですけど、私が日本で喋ってるのは、やっぱり向こうの人たちはスポーツマンシップっていうのを一番最初に教えると。子どもたちがスポーツを始める時に、スポーツマンシップっていうのはこういうもんなんだっていうのを分かってからやらないと、本当に真っ直ぐアスリートが育っていかないみたいな概念があって、これって日本人は誰も知らないよなっていう感じのものなので、講習会では必ずスポーツマンシップを話すようにしますね。スポーツをする時に、これ絶対なきゃスポーツを始められないっていう要素があって、それは何かというと、まず対戦相手ですよね。あと審判、あとはルール。この3つをリスペクトして、あとは相手とナイスゲームを作ろうとする姿勢がスポーツマンシップなんだよっていうことなんですよ。それを話しますね。
5年後はどうありたいですか
今住んでる勝浦市の社会的課題として、そもそも観光地なんですけど、それで旅館とか民宿が多いんですけど、オーナーの高齢化が進んでいて、泊めてあげるけど食事作れないよっていうところが今どんどん増えてきてるんですよ。なので、それは後継者がいないからですよね。その後継者不足を解決できるようなビジネス、そういう宿泊施設のマネジメントですかね、をする会社の社長をやっていて。あとは、さっき言ったように、仕事を大きくするためにはやっぱり収入も増やしていかなきゃいけない、収益を増やしていかなきゃいけないんで、不動産業もやってると思います。あとは、浜松でクラブやってた時の教訓として、全部自分1人でやってしまってたっていう、信頼できる仲間を作れなかったっていうものすごい後悔があるんですけど、それで自分が1人で疲弊してたっていう後悔があるんですけど、今は自分で全部やるんじゃなしに、やっぱりその分野分野のプロとつながれるようになって。会社作るって言っても、こういう縦に大きな会社じゃなくて、横に広がっていくような、そんな会社を作りたいなと思って。なので、自分も広く浅くはいろんな知識、これからも勉強しなきゃいけないと思うんですけど、その専門分野の深い知識を持った人たちと一緒に仕事をしていくようなのが理想なので、そういう専門知識の深いところ、そういう仲間を作って仲間に任せていくっていう感じですかね。
若い指導者へ伝えたいことは
たえず勉強してほしい。あとは、世界で何が起きているのかっていうのを見てほしいですね。だから世界にも出ていってほしいですし、それをコピーするっていうんじゃなしに、得た知識とか学んだことを、今度は自分のチームにテーラーメイドで生かしていくっていう、そういう姿勢を持ち続けてもらいたいなと思います。