建設・製造
06月13日
新潟で17年、その後は営業で10年。骨を埋めるつもりだった矢先、かつてのゴルフメーカーの客から届いた誘い。家族を残し、50歳で千葉へ。相当悩んだという決断の理由と、いま思うことを語ってもらった。
Q&A
インタビュー
今のお仕事について聞かせてください
現在はゴルフクラブのメーカーに勤めていまして、クラブの組み立てを管理しています。ヘッド、シャフト、グリップといったパーツを各サプライヤーから取り寄せ、それを組み立てて販売していく仕事ですね。パーツはそれぞれ中国やベトナムなど、いろいろなところで作ってもらい、それらをすべて工場に集めて組み立て、ゴルフクラブに仕上げています。
これまでの経歴を教えてください
今は正社員として働いています。新卒で最初に入社したのは、私が新潟出身なのですが、新潟にあるゴルフクラブのヘッドのOEMメーカーでした。ヘッドを作っている会社に就職し、そこで17年ほど勤めました。OEMだったので、お客様であるゴルフメーカーのいろいろな会社とお付き合いがあったんです。その後、少し違う仕事に転職して、10年ほど別のところで営業をやっていたのですが、ある時突然、昔のゴルフメーカーのお客様から連絡があり、会えないかと言われまして。何だろうと思って東京でお会いしたら、ぜひうちに来ないかという話だったんです。もともと新潟なのですが、思い切って、今は千葉のほうに単身赴任で来ています。
転職を決めた理由は何でしたか
一番最初に入った会社は、トップの経営方針がいろいろ変わったこともあって、別の会社を探していたんです。もともと営業や人と話すことが好きなので、そういう仕事を探していたら、たまたま良いところがあって、勢いのある会社だと思ったので、そこに転職しました。もともとゴルフがやりたくて最初の会社に入ったわけではなく、地元の会社で、当時とても勢いがあったんです。ジャンボ尾崎さんなどが全盛期の頃で、そうしたプロのクラブも手掛けていたものですから、すごい勢いだなと思いながら働いていました。ただ、経営陣のお家事情で先行きが厳しいと感じて転職し、次の会社で骨をうずめようと思っていたところ、先ほどお伝えした通り急に連絡があったんです。相当悩みましたが、基本的にものづくりが好きで、ゴルフに限らず何でもいいと思っていました。どちらかというと仕事の中身よりも、社風や人間関係といったところを重視していますね。
単身赴任には葛藤がありましたか
新潟から千葉へ単身赴任で来るにあたって、当時私は50歳でした。もちろん家には妻と子どもがいて、実家には体が弱ってきた両親もいます。それを置いて単身で千葉に行くというのは、相当な葛藤がありましたね。
家族で引っ越す考えはなかったですか
それはあまり考えていませんでしたね。当時、息子が大学生、娘が高校生だったので、家族ごと連れてくるというのは選択肢にありませんでした。今は上の子が社会人になり、下の子は大学2年生であと2年ほどですが、逆に子どもたちが家から出ていくような状況になるのであれば、妻に千葉へ来てもらうというのも、考えていなくはないんですけどね。
具体的にはどんな作業をされてますか
実は、私自身は作業はしていないんです。組立の工場に生産ラインがあるのですが、その生産がきちんと流れているか、不具合があったときにどう対応するかといった、管理的な仕事です。パソコンで日々の出来高などのデータを取ることもありますし、現場で機械が故障すれば一緒に見て修理したり、アメリカとやり取りして部品を取り寄せたりもします。体は使わない、マネジメントの仕事ですね。
現場ではどんな苦労がありますか
一番悩ましいのは、やはり人の問題です。製造ラインには大勢の人がいますから、日々のいざこざや揉めごともあって、人と人なので、そこが一番大変ですね。人によって大事にしている部分や考え方が違います。目的は一つで、きちんと納期通りに品質の良いものを組み立てて届けるという点はみんな同じなのですが、やり方は人それぞれ少しずつ違う。だから「私はこうやるのに、なぜあなたはこうやるのか」といったところから衝突が起きるんです。あとは生産ラインなので、基本的にはみんな同じペースで進めなければいけないのに、「あの人は少しサボっている」「すぐお喋りをしている」といったことを私に言ってくるわけですね。「あの人がこうなんだけど、なんとかしてください」と。言い方は悪いですが、もう小学校の先生のようなものです。
やりがいを感じる瞬間は
みんなで立てた目標を達成したときや、改善した結果が効果として表れて、現場のみんなが喜んでくれたり、「これはすごくいいです」と言ってくれたりする瞬間がいいですね、楽しいです。一人で何かをやり遂げる達成感は営業の時にはありましたが、今はみんなでやる仕事なので、自分一人がいくら一生懸命やっても結果は出ませんから。
これまでで一番辛かったことは
生産ラインを縮小するという会社の計画があって、10人ほどに辞めてもらわなければならない状況になったんです。長く一緒に働いてきた仲間がいる中で、「この人には辞めてもらわなければいけない」というのは、社員と相談するわけにもいきません。相談するとまとまらないんですよね、こういうことは。ですから、その辺りはトップダウンで「この人とこの人」と決めて、10人ほどに辞めてもらう決断をしなければならなかった。それが辛かったですね。普段はあれだけ揉めているのに、いざ「この人に辞めてもらうよ」と言うと、みんなが「なんとかならないのか」「あの人がいないとここが回らなくなる」という話になるんです。
出世への気持ちは変わりましたか
以前はキャリアを上げていきたいという気持ちが割とあったのですが、ここ最近は、出世してやるぞという欲はあまり感じなくなってきました。もともと組立(アセンブリー)のマネジャーとして入ったのですが、上司が別のセクションも見なければならなくなり、私もアセンブリーだけでなく、プロダクションコントロールやサプライチェーンのチーム、ロジスティクスまで見てほしいという感じになって。でも、あまり嬉しくなかったんです。この歳になると、出世欲というよりも、今後どう人生の後半を過ごしていくのが幸せなのかと考えるようになりました。新潟から離れていることもあって、バリバリ出世しても、家族と離れて単身でいて、幸せはどこにあるんだろうと思ったんです。そんなに給料が増えなくてもいいから、新潟で家族と一緒に暮らしたほうが幸せなのではないか。その辺りを天秤にかけるようになってきましたね。
日本のものづくりをどう見ますか
30年以上前は、やはり日本のお家芸ということで製造業がとても強く、半導体でもトップテンに日本企業が入っていました。それが一旦、ほぼすべて海外に行ってしまいましたよね。その理由は、日本はとても真面目で良いのですが、何でも自前でやろうという気持ちが強く、開発から設計、製造、販売までを一気通貫でやろうとする。そこが、なかなか通用しなくなってきていると思うんです。海外のメーカーは、設計は自分たちでやるけれど製造はすべて委託する、といった形で、どんどん設計力を強くしていきました。今のAIなどもそうですが、日本は完全に出遅れてしまった。ゴルフメーカーも同じです。日本のメーカーは設計から開発、製造、組み立てまで全部自前でやろうとしていましたが、外資系はそこを割り切っていて、自分たちは設計とデザインだけ、パーツはすべて中国などの外注に作らせ、組み立ても場合によっては中国でやらせる。一部、日本のコアのお客様の分だけは、今は柏のほうで組んでいます。合理的というか、メーカーは設計と開発、それに正当な評価、クラブの性能の評価をしっかりやれればいい。あとはもちろん、餅は餅屋ではないですが、得意なところに委託してやる。それが今後のものづくりの基本になるのかなと思います。日本もそのことに、だいぶ気づいてきているのかなという気はしますね。
5年後はどうしていたいですか
5年後は、地元に帰っているかもしれないですね。これまでの経験をさらに伸ばしてスキルを上げて、というのではなく、もうある程度、55歳くらいになったら、顧問的な立場でもいいかなという気もしていて。どこかのベンチャーなどでも構わないので、営業の顧問のような形で、サラリーは減っても構わない。そんなイメージを持っています。ある程度資産ができて、いろいろな面で見通しが立てば――娘もあと2年で大学を卒業しますし――そうしたもろもろが資産面で整理できたら、次のステージに行ってもいいのかなと思いますね。
ものづくりを志す人に伝えたいことは
昔からよく言われるのは「ものづくりは人づくり」ということで、まさにその通りだと思います。どんなに素晴らしい機械やコンピューター、設備を取り揃えても、結局それを使うのは人です。その人の考え方一つで、良いものにもなれば悪いものにもなる。ですから、ものづくりにおいて専門的な知識はもちろん大事なのですが、まずは人として自分を磨くこと。加えて、自分一人では絶対にものづくりはできませんから、いかに周りを巻き込んで仕事をしていくか、そういうスキルもとても大事だと思います。大学院卒でとても頭が良く知識もあるのに、人とのコミュニケーションが全く取れず、仕事ができなくて辞めてしまう、という話も聞きます。どちらが大事かといえば、もちろんバランスでどちらも大事なのですが、どちらかというと、やはり人づくりというところを重視したほうがいいのかなと思いますね。
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